奇妙図書館第六分館

図書館が潰れたので分館で活動します。第一~五分館も既に廃墟。

3/11 震災から9年目

 無駄に年を重ねて9年であり、震災の時にはまだ20代であったのだな、と。震災当時は、ヨコハマにてB様がケアハウス、というか介護施設であるな、に参る事になり、親父殿御袋様がB様宅に引越しするから手伝えよ、という事で有給を取った筈であったのだが、元委員長が亡くなって数か月程度の時間が経過し、一寸した博打で結構飛んで鬱状態であり、引越し手伝いに参らずに、確か『スクール・オブ・ロック』をぼんやりと見ておる時に地震が起こったような記憶がある。そうだ、狭くてトイレの汚い寮住まいであったな、と。

 で、揺れの後に寮は停電となり、このまま寮の部屋で引き籠っていても何も面白い事は起きない、という事でヨコハマに帰ろう、と荷物をまとめ寮最寄り駅のハシモト駅に参ったのであるが、ヨコハマ線は緊急停車となっており、じゃあしょうがない、マチダまで行けば何とかなるであろう、と荷物を抱えてマチダ駅まで参ったが、矢張りヨコハマ線は動いておらず、その前の年に購入した哀発怒触、というかiPodTouchとポケットWi-Fiで情報収集しながら結局歩いてヨコハマまで帰還したなぁ、と。朧気ながら思い出してきたり。B様宅に帰還した時は親父殿御袋様姉貴様三人共に、え、歩いて帰ってきたの?と驚いており、ある程度走りこんでおった我輩からすれば、30km程度の道なんて大した距離では無いのである。少し嘘ついた、パソ等の荷物を抱えながらの6時間程度の道は結構面倒であった。途中空腹を覚えたのでコンビニに寄った覚えがあり、食料品の棚はガラガラであり、何とか残ったパンと飲み物を購入したような記憶。

 という事で、引越しをサボタージュしたので、家族に向かっては少しばかり後ろめたい気持ちになり、大津波によって甚大な被害を受けておった時に我輩はというと、動かない交通網に対して毒づきながら歩いておった事もその後ろめたさを増幅させるのである。

 翌日、姉貴様の現旦那のホリススム氏が時間になっても家に到着せぬので、キョートから帰ってくる間に何か起きたのか、とやきもきしたのであるが、ただの乗り過ごしという事が判明し、其方は笑い話として語られる事になるのであろうなぁ、と。